最近じゃないか。
書きたいことがないわけじゃなくて、むしろ感情が動くことがありすぎて、収拾がつかなかったような感じです。
何か書きたいけど、何を書いていいかわからなかったので、ふと思い浮かんだ言葉をタイトルにしてみました。
さて、何を書こうかな。
人は死にますね。
田舎に住んでいると、人がよく死ぬように感じます。
高齢者が多いので、実際に都会と比べて比率は高いかもしれませんが、いちばんは、お付き合いの範囲が広いためだと思います。
私は実家を離れていた約20年間、一度もお通夜やお葬式に参列しませんでした。
親戚はいないですし、まだ若かったので、身近に亡くなる人がいなかったんです。
でも田舎に帰ってきてからは、1~3カ月のうちに2度お通夜に参列しました。
親戚も多いですし、ご近所の方とのお付き合いも濃いからですね。
2日連続お通夜に行くこともあります。
(お葬式は仕事を休まねばならないので、とても近しい人でない限り、お通夜に参列します)
先週は親戚が続けて3人亡くなりました。
コロナウィルスの死者数って、毎日出ていると思いますが、実際にはコロナウィルスがきっかけで亡くなっている人は、その数倍いると思いますよ。
特に高齢者は、何とかコロナを乗り越えても、結局体力を奪われてしまって、数日から数週間で亡くなってしまうことがあります。
祖母もそうでした。
私の祖母は、いわゆるいじわるばあさんで。笑
若かった母は、祖母にいじめられ、アル中だった祖父に一晩中追いかけ回され、父は少しも味方をしてくれず、長い間我慢をし続けて壊れました。
昔の母の話を聞くと本当にひどい話ばかりでかわいそうですし、死んでなお許しきれない気持ちもわかります。
ただ、私自身は、そんなに嫌いじゃなかったんですよね。ばあちゃんのこと。
祖母が亡くなって、子供の頃のいろんな記憶が蘇ってきまして。
どんなに母から悪口を聞かされても、「あ~、やっぱり嫌いじゃないな」と思うんです。
悪びれず人をたよるところとか、自分ができないことを棚に上げて偉そうなところとか。
それでも、ニカッと笑った顔に何の含みもなくて、なんか気持ちの良い感じがする人でした。
でも、祖母が母にしてきたことは本当に酷かったですし、祖母に対する気持ちはいつも複雑です。
その複雑な感情を処理しきれずに、骨を拾ってもなお、悶々とした日々を過ごしていましたよ。
こういう日々は、音楽に救われます。
先日呟いた、こいこいさんの『老人の火』
これは、私の今の気分にピッタリ過ぎてこわいぐらいです。
ばあちゃん死んで、テクノ聴くのも変な話ですけど。笑
今日は、『ラ・カンパネラ』しばり。
音楽がある世界に生まれて、本当によかったなと思います。
うーん、いろんなことがありますし、感情は一つではないですけれども、
それでも、、、生きる。
死んだ人のぶんも、がんばらないといけないのかもしれません。
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