このような感情のまま、ブログを書くべきではないことはわかっているのですが、どうしても書かずにはいられません。
今のこの感情をどう表現していいのか、この怒りはどこから湧いてくるのか、自分でも説明がつかないのです。
まず大前提として言いたいのは、例のセリフは不適切と言って間違いありません。
コントを通しで見ましたが、あのセリフの必要性はありませんでしたし、今の時代なら絶対に公になることはないでしょう。
この時点で、「時代のせいにするな」という誰かの声が聞こえてきそうです。
しかし、そういう時代があったのも事実です。
例えば、今では絶対に使用されないような差別用語が、当たり前のように小説や雑誌やテレビで使われていた時代がありました。
90年代の毒々しさはあの時代を生きた人たちでないとわからないでしょう。
もちろん、それが何の言い訳にはならないことはわかっています。
でも、あの時代に映像に残る仕事をしていた人たちは、カットされない分、今のタレントより品行方正さを保つ上で不利であるということだけは理解していただきたいと思います。
そしてあのコントは、長年ラーメンズファンだった私が知らないコントでした。
当時TSUTAYAで借りられるコントはすべて借りてみたんですけど。
それでも知らないくらい、売れる前のマイナーなコントといっていいと思います。
しかし、それはさておき、あのセリフは良くないです。いや、悪いです。
そんなことしたらだめというコントのセリフだったとしても、ダメなものはダメです。
そんな人がオリンピックに携わるなんて、もってのほかです。
その判断に間違いはないと、その点は心から思います。
しかし、なぜ開会式の前日にこんなことになってしまったのか。
ブブカが悪ふざけでアップした動画を、日本の防衛副大臣が、わざわざアメリカのユダヤ人権団体に報告、通報したからです。
そもそも、なんでそんなことするんですか?
1998年の絶版になっているVHSのコントの一つのセリフを、なぜわざわざ通報しなければならないのですか?
それは、誰のためですか?
何のためですか?
結局誰が得をするのですか?
人間は、間違えます。失敗もします。
今の時代の人間は、人生の中で一度も間違えず、失敗せず、生きていかなければならないのでしょうか?
人前に立つのは、聖人君子だけでなければならないのでしょうか?
ぺこぱがM-1で脚光を浴びた2019年から、「人を傷つけない笑い」というものが注目を浴びました。
しかし、小林賢太郎氏は、2007年ごろにはすでに、笑いで人を傷つけないようにしているという発言をしています。
今回の謝罪文で小林賢太郎氏は、
「考えを改めて、人を傷つけない笑いを目指すようになってい」ったと書いていますが、それは事実だと思います。
少なくとも、辛かった時期に彼らの笑いに助けられた私が、ここにいます。
失敗した後の人の行動を何も見ずに、たったひとつのコントのセリフだけを切り取って、報道されるような今の時代のあり方が嫌いです。
こうなってしまった以上、オリンピックに関する今回の判断は間違いではないと思います。
しかし、反省して努力している人のその後の行動を見ずに、「点」で切り取って注目を集めたり、ストレスのはけ口にするようなことはやめてほしいです。
私は、つまずいてしまった小林さんの今後の活躍に心から期待したいです。
失敗しても人は立ち直れるという姿を見せてほしいと思うのです。
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