大人が読む『鬼滅の刃』の魅力!かまぼこ隊 ~三者三様の成長物語~

映画の爆発的なヒットを受けて、連日『鬼滅の刃』の記事がネットを賑わせていますね!

姪っ子に薦められて漫画を読み始めた私ですが、今じゃ姪っ子に負けず劣らずハマっております。笑

今日は、アラフォーの私から見た鬼滅の魅力、かまぼこ隊・三者三様の成長物語について、書いてみたいと思います。

知らない方のために、念のため。
かまぼこ隊とは、『鬼滅の刃』の主人公である竈門炭治郎と、同期の我妻善逸と嘴平伊之助の3人組のことを指します。
(公式の呼称ではないようです)

鬼滅の刃.jpg

ジャンプをはじめとした人気少年漫画の多くは、主人公の成長物語であることが多いですよね。

『鬼滅の刃』も例に漏れず、主人公である炭治郎の成長物語といえると思います。

そして、そうであるとともに、善逸と伊之助の成長物語でもあると思うんですよね。

主人公とその仲間たちが成長を遂げる様子を描くのは王道といえるかもしれないですが、
この3人は、それぞれ違った成長の形を見せているのが、面白いところだと思うんです!


竈門炭治郎



まずは主人公の炭治郎です。
炭治郎については、「強さ」を身に付けていく物語になっています。

炭治郎は物語のはじまりである13歳の時点で、すでに人格者。

とても優しくしっかり者で、これ以上成長しなくても十分と思えるほど、できた子どもだったと思います。

ただし、「鬼」という得体の知れない生き物の前では、なすすべもない「弱者」でした。

炭治郎を鬼殺隊に導いた冨岡義勇の名言「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」の続きに、
「弱者には何の権利も選択肢もない。ことごとく強者にねじ伏せられるのみ! (中略)それが現実だ!」というものがあります。

この時点で炭治郎に足りていないものは「強さ」でした。
いや、普通に生きていく分には、十分な強さを持っている子だと思うんですけどね。
でも第一話のタイトルでもある「残酷」な世界で生きていくには、炭治郎は優しすぎました。

その優しすぎるくらい優しい炭治郎が、心身ともに本物の「強さ」を身に付けていく物語。
それが『鬼滅の刃』ではないかと思うのです。

優しい炭治郎が強くなるには、「誰かのため」であることがキーになっています。
人が強さを求めるときには、「誰かのため」である場合と「自分のため」である場合があると思います。
良い悪いは無いですが、鬼も含めてそれぞれのキャラクターが「何のために強くなろうとしているのか?」を考えながら見ると、また面白いです。

そして炭治郎については、どんなに強くなろうとも、自分の本質である「優しさ」を失わないところがいいんですよね!
炭治郎に斬られた鬼たちは最期に炭治郎の優しさに触れ、一瞬の幸せを感じて消えていきます。

”本当の「強さ」とは「優しさ」から生まれてくるもの”
炭治郎の物語には、そんなメッセージも込められているように思いました。

それは、始まりの呼吸である「日の呼吸」の使い手・継国縁壱や、映画のもう一人の主人公である煉獄杏寿郎からも見てとれることではないかと思います。


我妻善逸



続いては、善逸です。

この物語で一番成長したのは、たぶん善逸ですよね。

善逸は、とにかく怖がりだし泣き虫。

といいますが、善逸は本人のセリフにもあるように「普通」の感覚を持ち合わせている子なんです。

鬼を前にすると「普通」の人は怖くて怯えるし逃げるし泣きます。
善逸は普通です。
だから共感できるんです。

鬼を前にした時に感じる恐怖や怯え、絶望感。
それでも善逸はそれを一つひとつ克服しながら前に進みます。
その一歩に使うエネルギーは、炭治郎や伊之助とは比べものにならないほどだと思うんですよね。

そして、最初の頃は意識を失いながらも(?)鬼に立ち向かっていくところがカッコいいんですよ!
いや、それ以前に不器用な善逸が(唯一)身に付けた技、「霹靂一閃」が無条件にカッコいいんです。

戦う善逸は、誰よりもカリスマ性があります。
アニメになった時のカッコよさは、少しめまいを覚えるレベルでした。笑

ジャンプの人気投票1位が話題になっていましたが、これはすごくよくわかります。
善逸はみんなが自分に置き換えて応援したくなるキャラなんですよね。

善逸の物語は、「普通」の子が大きな成長を遂げる王道の物語です。

そして、”「普通」の善逸が、戦う時は一番カッコいい”
ここに、挫折したり自信を失ったりしながらも前を向いて生きる「人間」への、作者の愛のようなものを感じます。



嘴平伊之助



最後に私の押しメン、伊之助です。

伊之助の成長物語は、「獣」が「人間」になる物語です。

伊之助は山の中で猪に育てられた子です。

炭治郎たちに会うまでは、人の温かさを感じたことがなかったと思われます。
(おかきをくれたおじいさんのことも思い出してほしいけど。笑)

藤の花の家紋の家でおばあさんに優しくされたとき、炭治郎から「ありがとう」と言われたとき、伊之助は“ほわほわ”します。
それまで感じたことがなかった感覚なんですよね。

「ほかの生き物との力比べ」だけが唯一の楽しみだった伊之助は、鬼殺隊に入り、炭治郎たちと出会い、そのまんまの意味で「人間」として成長していきます。

『もののけ姫』でいうところのアシタカに出会ったサンに似た感じですね。
キャラは全然違いますけれども。

余談ですが、もののけ姫だと私は乙事主様押しです。
猪キャラが好きなんですね。笑

那田蜘蛛山では、かまぼこ隊の3人とも死を覚悟するシーンがあり、それぞれが走馬灯を見ます。これはそれまでの3人の人生を象徴するシーンだったように思います。
善逸はじいちゃん(師匠)に励まされ、炭治郎は大勢の人たちの記憶の中から父親の記憶に覚醒させられました。

そんな中、伊之助が見たのは、出会ったばかりの炭治郎と善逸、藤の花の家紋の家のおばあさんだけだったんですよね。
お母さんも出てきましたが、この時点の伊之助にとっては「誰・・・だ?」でした。

善逸と炭治郎が走馬灯(「過去の記憶」)に助けられたなかで、伊之助は鬼殺隊の柱・富岡義勇に助けられました。
明るいキャラクターの伊之助ですが、炭治郎たちに出会う前は、「人間」としては”空っぽ”に近い状態であったのではないかと思います。

そんな伊之助も、炭治郎や善逸、鬼殺隊のメンバーと出会い、人間らしさを身に付けていきます。

獣っぽさがあってこその伊之助ですが、人間として感情が揺れ動くようになっていく様がまた良いのです。
伊之助はとにもかくにも素直なんですよね!

煉獄さんからも、大きなものを受け取ります。

私はまだ映画を観られていないのですが、これから観るのが本当に楽しみです。

『鬼滅の刃』は、”「鬼」を何に置き換えるか?“によって、見ている人たちそれぞれの物語になると思います。

そして先ほども書きましたが、それぞれのキャラクターが求める「強さ」と、その変化についても考えながら見ていくと、また面白いと思います。

大人が読んでも(見ても)充分に面白い物語ですよ。

少しだけ書くつもりが、長くなってしまいました(;'∀')

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!

まだまだ書けそうなので、また書きたいと思います。笑

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