自分を偽って生きることの無意味さ

突然ですが、会社で自分をさらけ出すって、なかなかできないことですよね。

部署単位、チーム単位で仕事をしていく以上、ある程度足並みを揃えることは必要だと思います。

ただ、それが過剰に自分を抑え込むことになると、これはなかなかの問題です。

自分を偽ることは、自身のストレスが溜まるだけではなく、もしかすると周りの人にも迷惑をかける行為なのかもしれません。

私のケースで少し書いてみます。

私は元々物事を曖昧にせず、上司や先輩に対してもハッキリと物申すタイプの若者(古い?笑)でした。

相手が誰であれ、自分の意見をハッキリ言うことで健全な議論が生まれると考えていたんです。

でもそういった物言いは「生意気」とみなされたり、「毒舌家」というレッテルを貼られたり、場合によっては先輩からイジメに遭うこともあって、なかなか苦労が多かったです。

もちろん健全な議論の中で、お互いの考えを理解し、違いを認め合って、独特な信頼関係が生まれることもありました。

当時の私は、敵も多いし味方も多い。
そういった状況だったと思います。

それが心の病にかかったことをキッカケに、“できるだけ摩擦を避けて、目立たないように”
と心がけるようになりました。

心の病の原因が、職場環境や職場の人間関係が原因だったことも大きかったと思います。

私は自分のすべてを否定するようになりまして、それまでの自分の行動や性格がすべて間違いだったと認識してしまったんです。

それから会社ではできるだけ摩擦を避けて、目立たないように過ごしてきたつもりですが、先日ふと、

「私はものすごく無意味なことをしているではないか?」

と気がつきました。

少しまとめてみます。

自分を偽ることのメリット(だと私が思っていたこと)

1、チームの和を乱さない
2、職場の人から嫌われない(苛められない)
3、人を傷つけない
4、不必要に目立たない

ざっとこんな感じです。

自分を偽ることのデメリット

1、常に我慢しているので、ストレスが溜まる
2、ストレスが溜まっているので、基本的に機嫌が悪い
3、機嫌が悪いことで、チームの雰囲気を悪くする
4、本音で話さないので、信頼関係が生まれない

現実は、こんな感じです。

私が考えていたメリットが、現実のこのデメリットを超えるものかというと、決してそうではなかったです。

それどころか自分がストレスを抱え込むことで周りにそれが伝わり、メリットだと考えていたすべてが、実は逆効果だったようにすら思います。

自分自身ストレスを溜めて、周りにもストレスを与えるって、これ以上無駄な行為はないですよね。

DSC_0509.jpg

周りの人たちのことを想像してみても、自然体な人はその人がどんな性格であれ、一緒にいて気持ちが楽です。

このことに気がついてから、私はすでに嫌なキャラだったんだからどうせなら堂々と嫌われよう。と思うようになりました。笑

そうしたら肩の力が抜けて、少し楽になりましたよ。

それから、あんなにイライラしていた私にも優しくしてくれた同僚に対する感謝の気持ちも生まれました。

でも人間考え方の癖はなかなか直りませんから、すぐ元の状態に戻りそうになります。
なので、今日は備忘録だと思ってこの記事を書かせてもらっています。

今この記事を読んでいらっしゃる方は、タイプは違えど、どこかしらで自分を偽って生きている方なのかもしれません。

そんな方は、自分を偽る行為が自分や周りの人を幸せにしているのか?
一度想像してみてください。

どこかしら自分の「無駄な」がんばりが見えてくるかもしれないですよ。

もしかすると自分が楽にいることが、周りを楽にすることに繋がるのかもしれません。

スポンサーリンク



この記事へのコメント