『宮崎駿に人生を壊された女』読んでみました。

宮崎駿に人生を壊された女 /宮沢楽 http://toko.takekuma.jp/viewer.php?mangaid=355

ネットで話題になっていたので、読んでみました。
共感したところもありましたし、それ以上に「えぇっ?!」とビックリしたところが多かったです。

『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』を観た年齢から察するに、おそらく作者の方は、私と同世代です。
当時私も『風の谷のナウシカ』を公民館で観ましたので、懐かしく思い出しました。
eigakan.png
今でも公民館での映画上映ってやってるんですかね?
私は田舎の育ちで周りに映画館がなかったので、公民館にたまにやってくる子供向けの映画を観るのがとっても楽しみでした。
たしか小学校の周辺で、下校中の子ども達に前売りチケット(それを持って行くと前売り価格で映画が観られます)を配るおじさんがいて、そのチケットにあらすじ等が書かれているので、それを読みながら上映の日を楽しみに待つんです。笑

その中でも、『風の谷のナウシカ』から受けた衝撃は今でも忘れられません。登場するものすべてが新鮮で怖くて、でも美しくて、「感動しすぎてなにもいえない」というのは、まさにそんな感じでした。

でもその後の展開と宮崎駿の無名っぷりに、正直「えぇっ?!」となりました。

当時、『風の谷のナウシカ』に衝撃を受けた子どもは私の周りには多く、しばらくはみんなで王蟲ごっこ等をして遊んでいました。
『天空の城ラピュタ』が上映された時には、男子のファンも増えて、宮崎駿は子どもたちの間で不動の人気を誇った存在だったと私は認識していました。
『となりのトトロ』の頃には、社会現象のようになっていたような記憶があるのですが、子どもの頃の記憶は曖昧なものなので、自信はありません。

でも、同世代でありながら、「宮崎駿」に対する認識というか捉え方にあまりに違いがあったので、びっくりしてしまいました。

私の育った地方では公民館で上映する映画は、子ども達にとって数少ない娯楽でしたから、そういった田舎ならではの流行というか、現象みたいなものだったのでしょうか。

当時は今と違って、全国共通のコンテンツがテレビとかラジオくらいのものでしたから、地方独自の流行、あるいはある地方ではまったく流行が入っていかない。なんてことも、今より多かったのかな~なんて思ったりもしました。

この主人公(作者さん?)は少しアンラッキーだったのかもしれません。

しかし、人の感性やなんかは、どんどん変わっていくものですよね。
主人公の「私」自身、感性は変わっていったのだと思います。

人生には色んなことが起きますが、自分の人生は自分の選択の連続で成り立ってきたものです。
個人的には例え間違いがあったとしても、それも含めて責任を持つのが大人なのだと思っています。
誰かのせいや何かのせいにしていては、何にも始まりません。

もしかすると、主人公の「私」が宮崎駿さんと握手をした瞬間が、「誰かのせいにしていた自分」を昇華できた瞬間だったのかもしれないなぁと思ったりもしました。

私自身、まだまだ大人になりきれていない自分がいるかもしれないなと、何だか考えさせられる漫画でした。


この記事へのコメント